民主党 中野区議会議員 中村延子 なかむらのぶこ

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名義:中村延子後援会
2024.04.05

「不妊治療と議員の仕事」

<不妊治療と議員の仕事>

先日ご報告した通り、3月末に第二子を出産しました。
母子ともに無事に出産を乗り越え、揃って退院をすることができました。5月末までの産休期間においては、連絡がままならぬ事をお許しください。また、たくさんのお祝いのお言葉をいただき、とてもうれしく思っています。

 私の今回の妊娠出産への道は必ずしも平坦ではありませんでした。後世のどなたかに役立つのであればと思い、記録として書き記します。センシティブな情報も含まれますので、苦手な方はお気をつけください。

妊娠出産は100人いれば100通りです。さらに、第一子と第二子でも違うものだと思っています。それを踏まえてお読みいただければ幸いです。私の経験はひとつの例ではありますが、この文章をお読みになって、必要な方に届くことが出来たら本望です。ご相談がある方、対応までには時間がかかってしまいますが、お気兼ねなくご連絡ください。

まず、私は第一子を2020年1月に出産しています。私自身の結婚をした大きな理由のひとつが子どもを産み育てたいという動機でした。結婚してから約7か月後に不妊治療クリニックに通い始め、まずはタイミング法からスタートしました。初期検査で、甲状腺低下症がわかり、そのままにしておくと妊娠しても流産してしまう可能性が高く治療を開始。甲状腺の治療が安定するまでに2か月を要したため、実際の「治療」に進んだのはもう少し遅いタイミングだったかと記憶しています。タイミングを約1年続けた後に、主治医から「そろそろ体外受精に移行すべき」というご助言をいただき、検討をしました。それが2019年1月でした。その年の4月には統一地方選挙が行われる予定で、私自身も改選だったため、選挙を終えた5月まで待つという判断で、2019年5月に初めて手術による採卵。ふりかけ法による体外受精で受精卵が成長し、分割胚の移植を行いました。この時の受精卵は決してランクは良いものではありませんでしたが、結果的に妊娠出産に至りました。まさか1回で妊娠できると思っていなかったため、夫婦ともにとても驚きました。その後の妊娠期間を経て36週で破水し早産での出産でした。子どもは10日間NICU、10日間GCUに入院を経て退院しました。

家族では、子どもは2人欲しいというコンセンサスがありました。しかしながら第一子の状況からも自然妊娠は難しいと理解していたため、2021年5月に第二子の不妊治療を開始し、クリニックに通い始めました。すでに39歳となっていた為、妊娠出産のリミットは近いという認識ももっていました。更に流産や死産率が高くなっていることも理解をしていました。(実際に、自分自身が流産する直前の本会議でペリネイタルロスへの支援に関する議会質問も行っています。)

一方で、私自身は会派の幹事長という役目を同時期にスタートさせています。詳細は控えますが、区議会での与党最大会派の幹事長という役職は、非常に多忙で、またストレスが多く、その中で不妊治療を再開する事は無謀ともいえると自身でも理解していました。そんな中でも、妊娠の年齢的リミットを理解する上では挑戦せざるを得ないというのが結論でした。後に今回の妊娠までのタイムスケジュールを記載しますが、いつ「次回この日に来てください」と言われるかわからない、自分ではホルモンのコントロールが出来ないが故に、スケジュールを立てる事も出来ない中での不妊治療は「出口が見えないトンネル」とも言えました。まずは、2021年5月の不妊治療再開から、今回の妊娠に至るまでの経過概要が以下になります。

2021年5月 2人目不妊治療開始
2021年8月 採卵&胚盤胞移植→妊娠反応なし
2021年11月 採卵&受精卵の凍結
2022年1月 凍結胚盤胞移植→妊娠反応あり、8週目で心拍停止、稽留流産(3月に自然排出)
2022年7月 採卵&受精卵の凍結
2023年5月 凍結胚盤胞移植→妊娠反応あり、2回目血液検査で妊娠反応なし
2023年7月 採卵&胚盤胞移植→妊娠

生理3日目診察からホルモン値の確認をするための受診を繰り返すため、採卵までの通いは頻繁になりがちで、定例会中や公務が入っているとどうにもならず、採卵から移植の一連を一回の周期で行う事は非常に難しかった、というのがこの間の経過でした。採卵や移植が出来るのは、定例会と定例会の間が長く公務も入りにくい4~5月や7~8月のみでした。さらに、2022年2月には稽留流産を経験した為、自然排出から3回の生理周期の期間は不妊治療を再開できなかったこと、また、2023年4月には選挙を控えていた事など、不妊治療における選択を迫られる事も多くありました。今回の妊娠までに4回の採卵と移植を経て、妊娠に至りました。不妊治療をされている方の中には、もっと多くの回数を経験されている方も多くいらっしゃるので、4回が殊更多いとも思っていません。一方で、その過程では女性側のみが頻回にクリニックを受診しなければいけない時間や、助成制度の活用や保健適応になってからも経済的な負担が多くのしかかる事、また精神的な負担等もあり、ある程度時間の融通が利く仕事とはいえ、簡単ではありませんでした。更に、2人目となると、子育てをしながらの不妊治療となり、少なからず子どものスケジュール等にも影響を受ける事や、感染症を持ち帰ってきてしまう環境等にも左右される事もありました。

どれだけ頻回に受診をしなければいけないのかという一例として、不妊治療の1周期のスケジュールをお見せ致します。今回の妊娠に至った不妊治療過程における、私のクリニックの受診履歴です。

7月3日 生理3日目診察
7月8日 ホルモン値確認
7月10日 再診察
7月11日 再診察
7月13日 採卵
7月18日 移植
7月25日 妊娠判定日(1回目)
7月31日 妊娠判定日(2回目)
8月7日 胎嚢確認
8月14日 心拍確認 (6週4日)
8月24日 心拍問題なし
9月2日 心拍問題なし 形もきれい(9週2日)
9月8日 不妊治療クリニック最終受診、卒業(10週1日)
9月12日 産科病院の初回受診(10週5日)
10月4日 初回妊婦健診(13週6日)

この間に、卵胞を大きくするために点鼻薬を指定された時間に活用することや、自己注射、採卵までに排卵されない為に使う座薬、また、移植後からは日に3回の黄体ホルモンの膣座薬を入れることなど、常に不妊治療のために意識を張っていなければいけませんでした。もちろん、クリニックに通うたびに採血と内診がある事も加えておきます。その期間を経て、クリニックを卒業すると妊婦健診に移行していきます。

先に記載した通り、2022年2月に流産を経験していますが、その際の詳細も記録をしておきます。

1月17日  胚移植
1月24日  妊娠反応(数値低め)
1月29日  妊娠反応(数値OK)
2月4日  胎嚢確認
2月13日  心拍確認(少し遅め)
2月20日  心拍遅め、成長小さい
2月27日  心拍確認出来ず→稽留流産
3月11日  色付きおりもの
3月14日  生理に近い経血あり 夜お腹痛い
3月15日午前 大量出血 
午後 鎮痛剤と夜用ナプキンで乗り越える、 夜に腹痛はおさまりつつある
3月16日午前 再度大量出血 その後から腹痛と出血
3月17日 朝 大量出血 夜用ナプキンが30分で溢れる 腹痛あり 経血量は徐々に減る
3月18日  生理4日目程度に落ち着く 念のため夜用ナプキン 
3月19日  生理5日目程度 まだ出血あり
3月20日  前日とほぼ変わらず まだ出血あり
3月26日  ほぼ出血なし
3月27日 クリニック受診、検査で問題なしと診察

区議会の日程を照らし合わせると、2月10日から定例会が始まり、2月15日から17日が一般質問、21日が予算の総括説明、24日から3月1日が予算総括質疑、3月2日から4日が分科会と続いています。3月8日に予算委員会の採決、9日に本会議での議決が行われました。3月14日から16日は常任委員会、23日が特別委員会、25日が最終本会議という日程でした。もちろん公務日程以外にも、会派会議や委員会の正副委員長打ち合わせ、区の管理職職員との打ち合わせ等、断続的に予定がつまっていた期間でもあります。
更にこの時は、会派の幹事長職を担っており、また、区政においても重要案件が多く、その多くを議論する常任委員会(総務委員会)に所属をしていました。私たち会派からは委員長と私の2人が所属をしていましたが、もう一人は委員長のため、委員会で質問が出来るのは私のみという状況でした。自然排出の期間が常任委員会の日程とまるかぶりしてしまいましたが、会派として、区政の重要案件に物申せなくなってしまう事態は避けなければいけないという責任を負っていましたので、委員会を休むという選択肢は私にはなく、それが故に身体的に負担が大きくとても大変でした。この際は自然排出を選択しましたが、この選択を他者におすすめしませんし、また流産をすることがあれば確実に手術を選択しました。流産のそのほとんどは、遺伝子異常によるものである事も知識がありましたので、精神的に抱える事はありませんでしたが、多忙な中で自然排出を選ばざるを得ませんでした。

流産をすると排出から3回の生理周期子宮を休ませる必要があり、不妊治療を再開できるのが7月となりました。7月は、本来フレキシブルに活動ができる時期ではありますが、もし7月に移植をし、妊娠継続ができるとすると、出産予定日は4月になってしまうという時期でもありました。2023年4月は改選を迎える時期でしたので、私自身は7月に採卵のみを行うという決断をしました。選挙前の1月や2月に移植を行う事も検討しましたが、主治医に相談したところ、数か月早くに移植をしても結果にほとんど影響はない事やストレスが多い時期よりは少ない時期の方が着床には良い結果が伴う可能性が高い事から、移植も選挙後に行う事を決断。採卵後から4月までは不妊治療を休止しました。

これまで、不妊治療の時間的負担と身体的負担を私なりの視点で記してきましたが、経済的負担についても少し記載をしたいと思います。私が第一子を妊娠した際に、不妊治療の助成制度には所得制限がありました。我が家はここに引っかかってしまった為、最初の不妊治療のすべては自費診療となっていました。奇跡的に1回で妊娠に至ったため、体外受精にかかった費用は70~80万円でしたが、その前段でタイミングを長く続けていた為、約2万円の診療が月3回程度で5~6万円を不妊治療開始から約1年間毎月支出、また初期検査で約7万円かかりました。
第二子不妊治療開始時には、国で所得制限が撤廃された為、助成制度を活用することができました。検査から採卵、移植、凍結の2サイクルで東京都の30万円+中野区の5万円で計35万円を2回受けることができました。自ら費やしたお金はそれ以上かかった25万円ほどでした。更に、2022年4月からは保険適応に移行したため、また制度が変わりましたが、1回に3割負担で受精卵の凍結費用を含めて20万円ほどとなりました。決して小さくないお金ではありますが、所得制限の撤廃や保険適応になっていなければ、4回もチャレンジする事は出来なかったと思います。一方で、保険適応の前年に40歳を迎えていたため、スタート時39歳では最大6回活用できた助成制度を続けるか、保険適応に移行するかの選択も迫られました。保険適応になってからも制度が定まらないこともあり、少なからず混乱もあったことは付け加えておきます。

※行政の経済的支援
2021年4月~ 不妊治療助成の所得制限撤廃
2022年4月~ 不妊治療の保険適応(2023年3月までは経過措置あり)

更に付け加えて今回の妊娠に至るにあたって、ひとつ大きな選択を迫られた事がありました。我が家は、2021年1月末に新型コロナウイルス感染症に家族のほとんどが罹患し、実母と私たち夫婦は中等度まで行き、入院までしました。新型コロナウイルス感染症は不妊との関連性に関する研究も出ています。今回の妊娠は、改めて2023年7月に採卵からスタートしていますが、実は凍結受精卵はまだ2個ほど残っていました。ひとつは2021年8月に採卵したもの、2021年11月に採卵したものです。それらを7月に移植する選択肢もありましたが、あえて採卵からはじめたのは、受精卵のランクがあまりよくなかった(同時期に採卵した受精卵でよりグレードの良いものは妊娠にいたっていない)という事もそうですが、上記の新型コロナウイルスと不妊の関係性の可能性が示唆されている中で、改めて採卵したものの方が、質が良くなる可能性もあるのではないかと考えたからです。更に、2個のうち1つを移植してしまうと、残り2回の保険適応の回数制限の1回を使ってしまう事になるというものもありました。改めて採卵、移植をすればともに保険適応になるのに、です。主治医に相談したところ、主治医も5分ほど黙ってしまうほど、難しい判断でした。もちろん、当時41歳だった為、年齢的なデメリットもある事は承知していました。また、子どもが2022年8月にも新型コロナウイルス感染症に罹患しており、私たちは発症しなかったものの、罹患しなかった保証はなく、時期が遠い方がもしかすると成功率が高い可能性があるとも考えました。という事で、凍結卵はあったものの、採卵をする決断をしました。

※その他記録すべき事項
2021年1月27日 新型コロナウイルス感染症に罹患
2022年8月   子どもがコロナ2回目感染 夫婦は発症せず

この間、多くの選択を迫られ、なにが妊娠するに最善かを色んな情報をくみ取りながら取捨選択し、決断をしていく事は、決して簡単なことではありませんでした。結果的に、私は通っていた不妊治療クリニックとの相性も良く、信頼できる先生に出会えた事はとても幸運だったと思っています。私の仕事のスケジュールにあわせた治療をしていただいた事もあります。総じて、こうした先進的な生殖医療がなければ、第一子にも第二子にも恵まれなかったわけで、通っていたクリニックにとどまらず、これらの医療の技術進展には本当に感謝しています。

最後に、第二子を妊娠してから、「第三子も期待している」というお声も伺います。これまで書いてきた通り、私にとって妊娠出産はそう簡単なことではありません。希望すれば持てるわけでもありません。何が言いたいかというと、簡単に妊娠出産に至っていると見えている家庭でも、公表していないだけで、いろいろな苦労があって妊娠出産に至っている可能性があるという想像力をぜひはたらかせていただきたい。さらに、妊娠をすることや出産をすることは、女性が大きく負担を強いられることになる営みであること。それを他者が、好き勝手に口を出すべきではないという事。決定権はその女性にあるということです。リプロダクティブヘルスアンドライツの概念の浸透は急務だと、改めて感じています。第二子を妊娠してから、改めて妊娠出産への支援、保育園に関する事、女性支援、などなど、課題が見えてきており、復帰してから取組を進めていきたいという意気込みを最後に。

長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2024.04.02

【出産のご報告】

【出産のご報告】

先週、第二子を出産しました!
計画無痛の予定でしたが入院予定日の明け方に破水し緊急入院からの分娩。途中、麻酔が効かないトラブルもありましたが最後には無痛で産めました。約2年間の不妊治療から、1人目とは違う子育てと仕事と妊娠生活でしたが、まずは無事に出産を終えられてホッとしてます。
2月中旬から産前休業をいただいておりましたが、産後も議会の規則に基づいて8週間は産後休業になります。順調に回復すれば復帰は5月末頃を予定しています。しっかりと身体を回復させ、仕事復帰を目指します。その間、連絡等がままならなくなること、どうかご理解ください。
この妊娠出産を通して自ら経験したことを、当事者として少しでも活かしていけたらと思っています。今後ともどうぞよろしくお願い致します。